アラフィフ既婚ゲイの筋トレ日記

ここでだけ本当の自分をさらけ出したいと思って、ブログ始めました。もちろん、家族には内緒で~す(笑)


コロナ禍も、まだまだ油断はできませんが、感染状況はかなり落ち着いてきました。その間、読者の皆さんも、それぞれに大変な苦労をしていたのではないかと想像します。(-.-)

自分も、人生観、ものの見方、考え方が、随分と変わったと自覚してます。一つ前の記事で(と言っても8か月前ですが…)「想像力の壁」について書きましたが、これまで気付かなかった、大切なこと、想像すらしなかった未知の問題に、コロナ禍を通じて初めて気付けたということが、たくさんあります。

ただ、何を、どのように気付けたというのは、なかなか簡単には説明できないのです。端的に言えば、「今まで自分が知らなかった、気付けなかった大切なことが、実はたくさんあって、これからも新たに気付けること、逆に、最後まで気付けなさそうなことも、実はたくさんあるかもしれない」ということに、気付けたということでしょうか。(^o^;)

哲学の用語で「無知の知」という言葉があります。有名なソクラテスが言った言葉ですが、「自分がわかっていないことを、自覚している人」は、安易に自分の正しさを主張せず、また相手の言い分も尊重する。だから、まずは「自分が、いかにわかっていないかを、自覚せよ」ということなんです。この言葉は、高度に発達したネット社会に生きる、我々現代人は、本当に肝に銘じた方がいいと思うのです。

人は、とかく、自分の知識や経験から得た感覚、価値観だけを、つい「正しい」と思いがち。ネット時代は、そこに溢れんばかりの情報がもたらされ、情報の取捨選択を迫られるうち、どうしても自分の感覚、価値観が「正しい」ことを証明してくれる、都合の良い情報にばかり、目が行ってしまう…。実は、そこに、とんでもない落とし穴があり、偏った物の見方、考え方を、さらに補強することにも、繋がりかねない…。( ´⊇`)

コロナ禍では、そうした、とかく人が簡単に陥りがちな落とし穴の存在が、あちこちで炙り出されたように思います。今でこそ、多くのエビデンスが共有されるようになりましたが、初めの頃は「何が正しくて、何が間違っているか」が分からず、誰もが不安になったもの…。だからこそ、冷静さを失った人々の中には、安易な解釈や、耳障りの良いネット上の情報だけを信じたことで、感染者への誹謗中傷が横行したり、感染リスクと予防に関して、異なる意見の人同士の不毛な対立が繰り返されたのでしょう。感染リスクは、本当に誰にもあったはずだし、誰もが当事者になり得たはずなのに…。

例えば、性的志向と、それに対する差別、偏見も、これと構造は同じなのだろうと思います。コロナ禍を経験して、それまで他人事だったことが、他人事でなくなり、今まで自分が信じていたこと、「正しい」と思っていたことが、大きく揺らいだり…。実際のところ、コロナ禍で、自ら「無知の知」に目覚めた人が、どれだけいたのかは分かりませんが。( -д-)

願わくは、現代人が、ほんの少しだけでも「賢くなったかも?…( ´-`)」と感じられる、そんな「アフター・コロナ」が、早く訪れるといいですね~♪(^_^)

震災と原発事故から、今日でちょうど10年。10年前に起きた出来事は、本当にそれが実際に起きて、自ら経験して見ないと分からない、想像もつかないようなことばかりでした。( ´-`)

過去にも色々な災害があり、ニュースで見聞きするたびに、「他人事ではない」と、頭では理解してました。災害でなくても、人生には、不慮の事故や、事件、病気など、突然に降りかかる災難もあります。いつ、何時、自分が「当事者」になるかも知れない。(-.-)

だから、決して「他人事」と思ってはいけないのだけど、そこに大きな壁があることを、知っておくべきだと思います。そう。想像力の壁。

情報伝達の技術がいくら発達しても、この想像力の壁だけは、乗り越えられない。そのくらい、大きいものだと、自分は感じてます。(-.-)

それは、自分が震災と原発事故の「当事者」として、この10年間、ずっと社会と向き合い、その間にこのブログも立ち上げ、既婚ゲイの「当事者」としても、情報発信を始めた中で、ずっと感じてきたことです。

さらには、昨年からのコロナ禍を通じて、あらためて、この想像力の壁の問題に、人類はぶち当たっているな…と、ひしひしと感じます。実際に「当事者」にならなければ、どうしても、その辛さ、悲しみは、分からない。テレビやインターネットを通じて得られる情報だけでは、分からないのです。

ところが、人間というのは、テレビやインターネットから得られる情報だけで、つい、何となく「分かっている」「知っている」ような錯覚に陥ってしまうのです。そこに大きな落とし穴があるのに、そこは不問に付してしまう。そして、必ずしも悪気はないにせよ、「当事者」を傷つけるような言葉を、不用意に、もしくは無自覚的に、発信してしまう…。そこに、どれだけ科学技術が発達しても、乗り越えられない人間という生き物の限界というか、壁のようなものがあるような気がしてならないです。

ただ、そういうジレンマと直面しても、「当事者」は、決して現実からは逃れられない。その現実が、どんなに不条理で、残酷なものであったとしても、逃げることができない、逃げてはいけない…。(。-ω-)

せめて、そうした「当事者」の置かれている現実の苛酷さに、ほんの少しでも、想像力を働かせることのできる、そんな謙虚な世の中であれば、どれだけ救われるかなぁ…と思わずにはいられません。( -д-)


自粛は、自ら進んで行動や態度を慎むこと。誰かに強制されるのでなく、自らの意志で自らに制限を加えること…。(-.-)

日本人は、この自粛が、とても得意です。海外のようにロックダウンしなくても、ほとんどの人がマスクもしてるし、人との接触を減らす心がけも、かなり積極的にしてるし…。そうして、結果的に、海外に比べて感染がかなり抑制されているのは、日本の実力だと思います。

でも、考えてみたら、コロナ禍になるずっと前から、特に、自分たちのような境遇の人間は、生活、人生のあらゆる場面で、ずっと「自粛」ばかりだったんじゃないか?…と思ったりします。(゚_゚)

いつまでも、満たされない、内なる欲求を抱え込み、それが時々うずき出しても、その衝動を必死で抑え込む…。何だかんだと、世間体や、家族の絆、社会的な立場とか…。色々なものを必死で「守る」ために、今までもずっと、何かと「自粛」してきましたもんね?( ´-`)

だから、急にコロナ禍になったからと言って、突然、「何もできなくなった…」という感じはしないのが、正直なところなのです。ある意味、我々こそ「自粛の先駆者」みたいなものですよね…。(´Д`)

最近思うのは、自粛も、単なる「我慢」ととらえないこと…。すべては、やり方、考え方を、ほんの少し変えてみるだけで、何かが変わる…。そうやって、一つ一つ、少しでも希望を持つようにすることが、とても大切だということです。(^.^)

やっぱり人間って、いつまでも内なる欲求を抑え込み、我慢し続けて、人生を終わってしまっては、不幸です。今こそ「ない知恵を絞る」絶好のチャンスじゃないですか?・・オフ会も、絶対にやり方があると思ってます。(^○^)

とにかく、日々、前を向いて、頑張りましょう🎵\(^_^)/

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