もう何年も前ですが、こんなタイトルの本が話題になりました。自分はまだ読んでもいないし、それについて誰かと語り合ったこともないんですが、なぜか、最近ふと、この言葉が脳裏を過ることがあるんです。(^_^)
そもそも「鈍感」ってあまり良い意味で使われないと思うんだけど、少なくとも「鈍感力」と言った場合は、すごく前向きというか、プラスな意味合いに変わると思います。^_^
まず、自分が「鈍感か?」と言えば、よく分かりませんが、逆に「敏感」な方だろうと、自分では思ってます。周囲からも、恐らく、何事も「よく気がつく」「気配り、気遣いができる」と思われてる気がします。(^_^)
もちろん、実際のところは、俺自身が気付いてないだけで、とんでもない「勘違い」をしているかも知れません。このブログの書き方も含めて、知らず知らず、読者を不愉快にさせるような「KY」な言動をしている可能性もあるとは思いますが…。^_^;
でも、なぜ、俺自身が「鈍感力」を意識することがあるかと言うと、普段の仕事とか、人間関係で、細かい気配りや心配りは大切だと思う反面、あまり不必要に気を使ってばかりでは、返って、周りも恐縮してしまうし、ぎこちない感じになってしまう。それを防ぐためにも、可能な限り、自ら「鈍感でありたい」と時々考えるからなんです。^^;
つまり、下手に背伸びして「良い人」ぶったところで、やはり無理がありますよね?・・どんなに無理したところで、自分は自分以外の何者にもなり得ない。むしろ、自然体で、ありのままの自分でいた方が、周りも安心するだろうし、自分自身も気が楽なんですよね…。(^.^;
自分が「こうありたい」と願う自分になる努力は、もちろんしたいし、これからも続けていくと思うんだけど…、完璧な人間になんて、絶対になり得ないし、その必要もないだろう。最近は、そんな風に思うことが多いです。^_^
身近な人にも「鈍感」を感じることはあります。でも、「鈍感」でも魅力的な人は、たくさんいますよね。うちの奥さんなんか、その典型だよなぁ〜…と、奥さんには大変に失礼ながら思いますね!(^。^)
なので、心から「鈍感でいてくれて、ありがとう」と、半ば冗談半分に、日々、感謝の言葉を唱えてます。もちろん、心の中で…。(>ω<)
そもそも「鈍感」ってあまり良い意味で使われないと思うんだけど、少なくとも「鈍感力」と言った場合は、すごく前向きというか、プラスな意味合いに変わると思います。^_^
まず、自分が「鈍感か?」と言えば、よく分かりませんが、逆に「敏感」な方だろうと、自分では思ってます。周囲からも、恐らく、何事も「よく気がつく」「気配り、気遣いができる」と思われてる気がします。(^_^)
もちろん、実際のところは、俺自身が気付いてないだけで、とんでもない「勘違い」をしているかも知れません。このブログの書き方も含めて、知らず知らず、読者を不愉快にさせるような「KY」な言動をしている可能性もあるとは思いますが…。^_^;
でも、なぜ、俺自身が「鈍感力」を意識することがあるかと言うと、普段の仕事とか、人間関係で、細かい気配りや心配りは大切だと思う反面、あまり不必要に気を使ってばかりでは、返って、周りも恐縮してしまうし、ぎこちない感じになってしまう。それを防ぐためにも、可能な限り、自ら「鈍感でありたい」と時々考えるからなんです。^^;
つまり、下手に背伸びして「良い人」ぶったところで、やはり無理がありますよね?・・どんなに無理したところで、自分は自分以外の何者にもなり得ない。むしろ、自然体で、ありのままの自分でいた方が、周りも安心するだろうし、自分自身も気が楽なんですよね…。(^.^;
自分が「こうありたい」と願う自分になる努力は、もちろんしたいし、これからも続けていくと思うんだけど…、完璧な人間になんて、絶対になり得ないし、その必要もないだろう。最近は、そんな風に思うことが多いです。^_^
身近な人にも「鈍感」を感じることはあります。でも、「鈍感」でも魅力的な人は、たくさんいますよね。うちの奥さんなんか、その典型だよなぁ〜…と、奥さんには大変に失礼ながら思いますね!(^。^)
なので、心から「鈍感でいてくれて、ありがとう」と、半ば冗談半分に、日々、感謝の言葉を唱えてます。もちろん、心の中で…。(>ω<)
コメント
コメント一覧 (6)
あっ、我が家もか??
俺も感謝の言葉を唱えなくっちゃ。(笑)
数年前に当時の同僚(一つ下の男)に面と向かって、「○○さん(私のこと)は本当に鈍感力が高いよね!」と感慨無量という面持ちで言われたのを思い出しています。
私にしてみれば、「それは何?褒めているようには聞こえないけど?」というのがあって、良くわからないというのが実感でした。
要するに、彼が言いたかったのは「他人の思惑を気にせず、言いたいことを言い、思い通りに振る舞って、陰で何を言われているかと心配したりせずにいられて、うらやましい」というようなことだった(らしい)。
その彼は、職場にあっては良く努力している割りにはそれに見合う評価が得られず、フラストレーションが貯まっているタイプだった。こうして当時のことを思い出しながら、書いていても痛感するのは、根本的に発想が違うということ。
そもそも、何をベースに仕事をするかが問題なのだと思う。周囲の評価が得られるかどうかは結果であり、その評価が正しいかどうかはわからない。わからないことに振り回されたり、先回りしてブレーキをかけたりするのは、ナンセンスだと感じるのが「当然」と固く信じて生きて来たことが、鈍感力のなせるわざだったということのようだ。
たまたま、私はそんなやり方で仕事をすることができたけれど、それはもの凄く幸運なことだったのかもしれない。
私は仕事柄様々なお客様に接するので、敏感というよりは過敏にならざるを得ない感じです。
これから夏になり繁忙期をむかえると、年に一度お越しになるお客様でごった返します。
そのなかで暴言を吐く人や無理をおっしゃる人もいらして、精神的にも来るんですよね(*T^T)
結構打たれ弱いところがあるので、鈍感力のある人になりたいと思う今日この頃です。
でも、そればかりに甘んじていたら、とんだしっぺ返しも、いつかは喰らいますよね…(^o^;
頑張っても、頑張っても・・。なんで、周囲は自分のことを評価してくれないんだ?・・自分の存在意義を認めてくれないんだ?・・そんなことばかり、つい数年前までは考えていました。(*_*;
結果的に「縁の下の力持ち」的な立ち位置に、いつも自分がいるので(笑)、内心は複雑な毎日でした。^^;
でも、発想を180度変えて、むしろ率先して「縁の下の力持ち」に甘んじてみよう!と思い始めてから、上司からは認められなくても、部下から慕われる雰囲気になってきました。そういうものなんですよね・・(^^ゞ
最近は、馬鹿なことも自然に言えたり、出来るようになってきて、つい、お調子に乗ることもしばしば・・。もっと鈍感になりたいですね。(^ム^)
単に自信、プライドというのではない、もう一段高いレベルでの「何か」なんでしょうか・・。うまく言葉で言えませんが(笑)、とにかく頑張ってくださ〜い!(^O^)v