アラフィフ既婚ゲイの筋トレ日記

ここでだけ本当の自分をさらけ出したいと思って、ブログ始めました。もちろん、家族には内緒で~す(笑)

2013年01月

昨日書き足りなかったことを書く。

はっきり言って俺は、性欲の塊である。毎日毎日、男とのセックスばかり妄想し、やりたくてやりたくてウズウズしている。

特に最近は、駅や街角で目の前にいる男の股間をチラ見しては、パンツの中身まで想像する癖がついた。・・この男とセックスしたらどんな感じかな・・そんなエッチなことばかり、朝から考えているような、本当にとんでもない「スケベ人間」だ。(>_<)

だけど、絶対にそんな「スケベ人間」の雰囲気は、これっぽっちも周囲に感じさせていない。少なくとも、そんな俺の「本性」は、表向きは完全に封殺している。誰がどう見ても、実に全うで、常識的な、どこにでもいる普通の40代既婚オヤジだ。

職場でもそうだし、家庭でもそうだ。俺の周囲にいる一体誰が、俺がそんな"とんでもない"スケベ人間だと想像するだろう。気づく人なんか、百パーセントいないし、いては困るのだ。

だが、絶対に誰も気づかないし、気づかれてはならないという、俺の存在をめぐるとてつもないギャップが、俺には余りにも息苦しくて、その反動の大きさが、今こうしてブログ記事の更新に、俺を掻き立てているのだと思う。

もちろん、明らかに不必要と思われる過度の「演出」もあるし、そこまで書く必要もないだろうと思われることまで書いている。また、恥ずかしい自分の裸の写真まで掲載して、とにかくこのブログの中では、俺はやりたい放題になっている。(*_*)

それに対して、俺自身、自戒の気持ちがないわけでは決してない。このブログで展開している表現の過激さに、ほかならぬ俺自身が、物凄く戸惑いを覚えているのは事実だ。

・・でも、逆に、昨日や今日の記事のように、急に冷めた目で、自分を見つめるような書き方もして、そうやって自分の心のバランスを取っているような気がする。

それこそ、このブログを通して、最近編み出した、俺なりの「知恵」なのだけれど、まあ、読む人によっては、そんなもの「知恵」の名にも値しないだろうし、むしろ不快極まりないかも知れないな・・とは思うぜ。(*_*)

・・そんな風に、一見、冷静沈着に見えて、実はものすごく「投げやり」な所が、いかにも俺らしい。というか、自分ではあまり好きじゃないのだけれど・・。

でも、そんな「大馬鹿野郎」な自分を、今日、俺は全面的に受け入れることにした。・・・そうしたら、ちょっと気が楽になった。(^-^)

ああ、セックスしたい。入れられたい。今日も、朝から妄想全開だ。(*_*)・・でも、仕事、仕事!

まったく、どうしようもない男だ!・・誰か、このどうしようもないTakaを、厳しく叱ってやって下さい。m(__)m

当たり前のことだけど、「知恵」と「知識」は違う。「知恵」を辞書で引くと、物事の道理を判断し処理していく心の働き、とある。単に知っている、分かっているということではない。知っていること、分かっていることから、目前にある物事をどう判断し、処理していくか。それが「知恵」だ。

しかも、俺が考えるに、「知恵」は頭が良いとか悪いとかいう問題でもないのだ。どんなに頭脳明晰で優秀な人でも、「知恵」の不足している人は意外と多いと、俺は思っている。逆に、世間的にはあまり優秀と思われていない普通の人であっても、物事の本質をよく見て、うまく事を処理する「知恵」に長けた人と出会うこともある。

何と言うか、「知恵」は、「知識」や「経験」もさることながら、真摯にかつ冷静に物事と向き合う姿勢、例えば「自信」や「プライド」そして「謙虚さ」といった、その人の人格にも深く関わることで、ある意味、人間としての総合力だと、俺は考えるのだ。

なんで、今日、こんなことを書いているかと言うと、最近の記事を自分で読み返してみて、俺自身、一見して、自分をめぐる複雑な状況を的確に判断し、処理しきれているように見えて、実際は必ずしもそうではないと感じる部分があるからだ。

つまり、自分では、俺なりの「知恵」でうまく物事を処理できているようだが、よくよく考えると、案外そうでもないのである。(*_*)

具体的にどうこうという話になると、余計につまらない記事になるので、止めておく。・・ただ、やっぱり、俺自身、少なからず「無理」をし、「虚勢」を張っているだけかも知れないと、ちょっと反省しているのだ。

でも、心は、今日も元気そのものだ。(^_^)v・・とにかく前向きで、とびきり明るい、今日もいつもと同じTakaなのだ。

前日のタイトルと反対の言葉を掲げるという、最近のパターンを踏襲したまでだ。

ただ、「大胆かつ慎重に」(「慎重かつ大胆に」?)とは、よく言ったものだ。何事にも積極的であり、かつ冷静沈着な思考も維持する。・・・そうすることで、失敗しない「道」を、堂々と歩めるのだと思う。まさに、俺の生きる信条だ。

そもそも「慎重さ」の意味や程度も、人によってさまざまだろう。今までやったことのない大きなことをやる・・・。そんな時に人はどこまで思い切った決断を下せるのか。その人の価値観、勇気、責任感、決断力が、そうした場面で大きく問われてくる。

当然ながら、既婚ゲイの俺が、このブログを立ち上げたときも、単なる“勢い”だけじゃなかった。もちろん“勢い”も必要だったとは思うが、それだけで立ち上げられたわけじゃない。文章や掲載する写真に盛り込める中身をどこまでとするか、何をSafeとし、何をOutとするか・・・。絶対に家族や知人に「発見」されないための、自分なりのルールづくりを、まずやった。

さらには、ブログを通して知り合うかも知れないゲイの人との関係をどうするか・・・。はたまた、その先に生じるかも知れない新たな「責任」の問題。ひょっとすると、不測の事態もあるかも知れない・・・。色々なことを考えるし、実際に考えた。

だが、あまり考えすぎても、かえって何も出来なくなるし、考えたからといってすべての可能性を想定できるわけでもなく、その用意ができるわけでもない。むしろ、自分の場合は、“常に考え続ける自分”を、とりあえず絶対的に信頼することで、過度な「慎重さ」のために「行動」に移せなくなるような事態を回避しようとする。そういう価値観である。だから、結果的にこういう大胆なことも出来ているのだろう。

実際の男との出会い、肉体関係についても、基本的な考え方は似ていると思うが、こちらはさらなる「慎重さ」を自分に課していることは、言うまでもない。やはり、数か月前まで、「これだけは、絶対に越えてはならない“一線”だ」と、俺自身が強く意識していたことだったので、当然である。

まず、相手が絶対的に信頼できる人かどうか。人柄、性格、価値観、行動・・・そうしたことを、すべて見る。当然、会って、話しても、どうしても分からないことだってある。だが、人間関係というのは、最初から相手を疑っても始まらないものだ。むしろ、「この人」と思える相手であれば、自分の方から積極的に相手を信頼して、その自分の姿勢を通して信頼関係を築き、その中でいろいろなことを考えていった方が、俺は、自分の生活も人生も豊かにできるし、長い目で見て得策だと思っている。

もちろん、「行動」しながら考える、ということも大事なのだろう。俺は、いつもそうである。とにかく、「経験」と「思考」の連続なのだ。

ただ、楽しみ、欲求、快楽に身を任せて、「なるようになる」と何となく思っているだけでは、それは単なる「甘え」だ。つまり、自分自身の予測不可能な運命を、不特定多数の「他者」に預けてしまうようなものだからだ。それでは、仮に破滅的な人生を歩んでしまっても、自己責任の誹りをまぬかれないだろう。

なんだか、いつになくまじめな文章になった。だが、このブログの性格から言って、少なからず多くの人に影響を及ぼす可能性があるので、俺自身の基本的なスタンスを明確にしておきたいのだ。

このブログの読者が不幸になってしまうことほど、俺にとって悲しいことはないのだから。(´_`。)

・・・などと言いつつ、今日も調子に乗って、画像をアップしておくぞ!一人の出張中だからこそ、楽しめることは、しっかり楽しんでおきたい、自宅に帰ってからでは、なかなか出来ないのだから・・・。そんな、逆な意味での「慎重さ」の賜物だろか?

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昨夜から一人で出張に来ている。こんな時は、いつになく俺も大胆になれる。自宅で家族と一緒にいる時には絶対できないことを、一人で出張のときなど、昔からよくやるのだ。(*´艸`*)

最近、あるゲイの友人から借りたちょっとエッチなパンツを履いてみたぜ。こんなの、自分ちでは絶対に履けない。間違っても洗濯機には入れられない。( ̄ー ̄;

昨夜はずっとこの格好で過ごした。もちろん、男とのエッチを妄想しながら、持参したエロ画像を一晩中ながめて、一発やったぜ。(*^-^)

それにしても、匿名のブログだからって、本当に、俺もかなり大胆になったものだ。まずは、何よりこんなブログをやってると、家族にもバレないことを祈るばかり・・・

今日はこれから大事な仕事だから、記事も短めだ。

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毎日こうして更新していることを、何人かの読者から誉められて、俺もちょっといい気になっている(?)。(*_*)・・というか、恐らく皆さんが思ってる以上に、このブログの読者は多くて、俺もコメントや直でもらうメールがスゴく励みになっているし、そうした毎日の更新を楽しみにしてくれる読者のために、自然と頑張れるのだ。(^-^)v・・ホント、ありがたいと感謝してるぜ!(^o^)

とにかく、俺もサービス精神が旺盛なので、今日は朝から(と言っても日曜だしね)ちょっと際どい中身にしちゃおうかな。(^q^)クスクス

俺は、とにかく風呂に入るのが大好きな人間だ。風呂場で、自分のちょっと鍛えた筋肉質な体を見ながら、悦に入られるから・・・なぁんて、別にそういう訳じゃないよ。とにかく、少し熱めの湯に肩まで浸って、ゆったりと気持ちよく、ボーッとしている瞬間が本当に大好きなんだ。(*^^*)

以前にも書いたが、山奥の温泉地の露天風呂にでも浸かって、青空を見上げながら、足を投げ出し、頭の中を空っぽにして、ボーッとしているのなんか、本当に最高だね。(>_<)・・もう、何時間でも、何十時間でも(?)そうしていられそうな気がする。⌒-(-。-)⌒-アアイイキモチ

そして、一人きりで風呂に浸かっているときは、時々、色々な妄想もして楽しむ。(-.-)

・・・俺のすぐ横には、大好きな恋人が並んで湯に浸かっている。互いに体を密着させ、何気ない話をしながら、ふと互いの目が合い、じっと見つめあう。そして、おもむろに唇を合わせ、舌を絡めあう・・

・・・濃厚なキス。そして湯船に浸かったまま、二人は互いの体をまさぐり合う。しばらくしたら、恋人は、湯船の縁に腰をかけ、俺は恋人の開いた股間に顔を近づけて、・・

おっと!・・これ以上は、ちょっとヤバイ描写になりそうなので、あとは読者のご想像にお任せしよう(笑)

実際に一人きりで風呂に入るときは、俺はよく、自分の乳首やアソコを刺激しながら、こんなシチュエーションを妄想して楽しんでいる。だから、いつも長風呂になる。俺にとって、入浴タイムは最高の妄想タイムでもあるのだ。(^o^;)

本当は、そんな俺の入浴中の写真でも載せたいのだけど、何度か試したが、どうしてもレンズが曇ってうまくいかない。(>_<)

その代わり、去年のクリスマスにアップした「宝物」という記事に、俺の入浴シーンを動画でアップしてるから、まだ見てないって人は、良かったら見てくれよ。(*^^*)・・でも、本当はかなり恥ずかしいんだけどね。

(・・・さて、風呂場でレンズが曇らない撮り方を教わったので、さっそく入浴シーンの写真を撮ったから、追加しとくぜ。結構、エロい画像が撮れたな。(*^^*)・・1/28画像追加)

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最近、また読書に時間を割くことがかなり増えた。一人で電車に乗るときは、必ず文庫本の小説を読みふけっている。ちょっと前にも書いたが、父親の俺以上に小学生の娘が、半端なく本を大量に読んでいて、それに感化された部分も大きい。何となく、娘に負けたくない気持ちもあるのだ。

もともと俺の読む小説は、三島由紀夫などの近代文学が中心だったが、最近では、俺以上に小説好きの友人から進められて、今現在活躍している作家の小説を読んで、少しずつ対象分野を広げたいと思っている。とにかく読みたい作品がたくさんあるのだ。

ただ、以前に比べて集中力が減退したのか、本を読むスピードがだいぶ遅くなったなと感じる。若い頃は一日一冊は平気で読めたが、最近は一週間くらいかかることもある。

それでも、夜中に起き出して読んだり、仕事の休み時間に読んだりして、時間を見つけては読みふける。そうするうちに、だんだんと物語の展開に引き込まれて、ハラハラ、ドキドキしてくる。その感覚が、俺は堪らなく好きなのだ。

ここで「読書論」をぶち上げられるほど、俺も「読書の鬼」になってる訳でもない。もちろん、その時間もないのだが、とにかく最近感じているのは、ストーリーにのめり込むことで得られる快感は、自分自身の何気ない日常に深い意味を持たせる動機になる。また、それによって生活に張り合いが感じられるようになる。

・・何というか、一冊一冊、本を読み終えるごとに、生まれ変わったような気がして、その感覚は本当に癖になってくると、もう止められなくなる。(*_*)

俺にとっては、読書は、言うなれば、まさに「心の筋トレ」だね。・・もちろん、「体の筋トレ」もやるぜ。とにかく、Takaは、毎日毎日、進化し続けたいのだ。(^○^)

今朝は、最高によい気分だ。今まで見えてこなかった大事なことに気づき、また新しい自分に生まれ変われたような、そんな気分なのだ。(*^^*)

既婚ゲイであることによる複雑な悩み、そのために己れの中に抱え込んだ大きな「矛盾」。しかし、その「矛盾」は乗り越えないといけないし、必ず乗り越えられる。(>_<)

昨日一日考えた結果、俺はある考えに行き着いた。そして、ようやく俺の中に、清々しい心の晴れ間が戻ってきた。\(^o^)/

結局のところ、俺は家族を不幸にしたくないという思いから、ゲイとしての自分の本性や男遊びをしている事実を、家族に対してさえも、ひた隠しにする道を選んでいる。そして、それを俺自身が家族を騙していることだと認識し、そのために罪の意識を抱いている。・・だから辛くなるのだ。

しかし、それは、裏を返せば、まだ俺自身が、家族のことを無条件に信じ切れていない証拠なのだろう。あるいは、俺自身の家族に対する愛情を、嘘偽りのない本物の愛情だと、まだ心の底から信じ切れていない証拠と言って良いのかも知れない。

結局のところ、恋愛もそうだが、家族の固い絆も、どこまで無条件に相手を信じきれるかなのだ。この大いなる「矛盾」を乗り越えられる道は、それしかないことに、昨日の記事を書いたあと、ようやく俺は気づいた。

ゲイであることによる悩みや矛盾を抱え込んだ、この俺という存在を、その事実を知っているかいないかに関係なく、妻も子供も、無条件に信じ、全面的に受け入れてくれているのだ。だったら、俺も、妻や子供を、同じように無条件に信じ切っていくしかない!・・たとえ、どんな矛盾した状況下にあってもだ。

ところが、今の俺は、ゲイとしての本性や、男遊びをしている事実が、妻や子供に発覚するのを、極端に怖れている。「家族を不幸にしたくない」というのは、どうやら強気になり切れない俺自身の言い訳だ。むしろ、自分の心の不安定さを、そういう言い訳でカムフラージュしているだけなのかも知れない。

妻や子供の、俺に対する全面的な信頼にも関わらず、今の俺は、妻や子供のことを全面的に信じ切れていないのではないか?・・もしそうだとしたら、申し訳ないことだし、この矛盾を乗り越えられるには、やっぱり、まず俺自身が、家族を信じ抜くしかないのだ!・・・そう気づいた。

この不甲斐ない中途半端な俺を、夫として、あるいは父親として、全面的に信じ、受け入れてくれている妻を、そして子供を、俺はどこまでも信じ抜こう!

・・・人生は「矛盾」だらけ。人間の心も、また「矛盾」だらけだ。そんな当たり前のことを、今さらのように悩む必要もない。

まずは、どこまでも自分を信じ抜き、家族を信じ抜くこと・・。すべては、そこから始まる。

今朝、いつものように顔を合わせた家族一人一人を見ながら、心の中で呟いた。・・・本当に、本当に、心の底から愛してるよと。

家庭のある俺のような既婚ゲイが、男と会ってセックスをするとき、家族には嘘をついて出掛けることになる。今のところは何とか騙し通せているが、毎回毎回、もっともらしい理由を考えなければならず、それが結構大変なのだ。

もちろん、大事な家族を騙してまで、己れの性欲を満たそうとする俺の行動は、社会的に明らかに倫理に背いているし、厳しい批判にさらされるべき行動である。それは、俺も重々承知しているのだ。

だが、俺は、妻や子供を絶対に傷つけたくないし、不幸にしたくないから、どんなに悪いことをしていると自覚していても、本当のことは、家族には絶対に話せないし、話すべきではないと信じている。

それでも、俺自身、間違いなく悪いことをしているので、罪の意識に苛まれることはある。昨日書いた記事とは、まるで逆の気持ちだが、「こんな馬鹿なことは、もう止めよう・・」と思い悩むことだってあるのだ。

だが、俺はもう完全に、体で覚えてしまった「男の肉体」の味の虜になってしまっている。毎日毎晩、男同士の淫乱なセックスを妄想するし、それを今すぐにでも実行したいという、強い衝動にも駆られる。

しかし、それは、実際に今のように行動に移す前から、ずっとそうだったのだ。これほどの強い性的衝動を、よくぞ今まで我慢してこれたなと思う。(>_<)

それにしても、今の俺の心と体は、大いなる矛盾に支配されているようにも思う。

男とやりたい、男と寝たい・・。そういう激しい性的衝動に駆られ、家庭人であるという制約の中で、それを少しずつ行動に移している今の自分を、俺は肯定的に受け止めてはいる。

しかし、その一方で、毎回のように家族を騙して、自分だけの欲望に走ろうとする自分が、本当にとんでもない悪い人間のように思えて、そのことが本当に辛く、苦しくなることもある。

こういう、今の俺が置かれている矛盾した状況は、これまでの様々な成り行きの結果なのだけれど、果たして本当に「これで良かった」と自信を持って自分に対して言い切れるのか・・。(>_<)

ふと、そんなことを考えてしまって、今日のTakaは、いつになくブルーな気分・・。(-_-)

・・・でも、読者の皆さん、どうか、心配しないでほしい。(^-^)/

こんな悩みは、俺は、もう何度も、何度も乗り越えて来たのだ。だから、数時間後には、ケロッと開き直って、もうニコニコと明るく振る舞っていることだろう。(^o^)vハハハ

本当に、楽しい、幸せな毎日に、心から感謝!!(*^^*)

妻子との幸せな家庭生活と、自分自身のゲイとしての幸せと、どちらを優先したいかと問われたら、今の俺には、どちらも優先したいと答えるしかない。本当にどうしようもないほど、欲張りな人間だなと、自分でも思ってる。

だけど、今、満たされない自分の願望を満たしたいという意味では、大好きな「彼氏」と毎日毎晩、ラブラブのベッドライフを重ね、激しいキスをし、抱き合いながら眠りたい。それはしかし、家庭を壊す考えのない俺のような真面目な既婚者ゲイには、決して叶えられない願望だということは、俺自身が重々分かっている。だが、それこそが、俺の長年思い描いてきた、具体的な「幸せの形」なのである。

最近分かったことだが、この俺の長年の願望というのは、その対象に関しては、必ずしも俺の肉体的な好みと一致する必要がないらしいのだ。つまり、俺自身は明らかに筋肉マッチョに欲情する性癖があるが、それは性欲の処理に関することであって、ここで書くゲイとしての願望とは、ちょっと違うのである。

つまり、毎日毎晩、抱き合い、一緒に過ごせる「彼氏」は、必ずしも筋肉マッチョである必要がないのだ。むしろ、性格的にぴったりで、趣味も合い、話も尽きず、とにかくお互いのことが大好きになれるような、そんな関係性である。

だから、そんな「彼氏」が現れれば、肉体的なことは二の次だ。極端に言えば、セックスの相性でさえ、どうでも良いような気がする。もちろん、肉体的な好みやセックスの相性までぴったりな「彼氏」なら、それに越したことはないだろうが、そこまで旨い話なんて、まずあり得ないと、俺は思っている。

とにかく、大好きな「彼氏」と抱き合いながら眠りたい。それは、俺にとっては、まさに至福の時間である。何より、すべてのストレスや不安から解放され、とてつもなく深い安心感に、身も心もどっぷりと浸れるような気がするのだ。

もちろん「彼氏」も同じ気持ちでなければ嫌だ。これは、俺の思い描く恋愛の理想の形だから、互いに相思相愛であることが大前提だ。単なるセックス目的のつき合いではない。もちろん、そういう欲求もなくはないが、それはそれ、これはこれというのが、俺の考え方だ。

それにしても、こうして己れの願望を具体的に思い描くほど、現実との隔たりは大きいなと痛感する。せめて、妄想の中だけでもと考えるが、それもとっくに限界に来ている。越えたくても越えられない現実・・。なんだか、ちょっとため息が出るぜ。ε=(。・д・。)フー

ああ、こんな矛盾したことばかり考えていると、俺は本当に幸福なんだろうかと思ってしまう。でも、明らかに幸福だよな。本当に好きなことを思う存分やってるのだから。(>_<)

・・ホント、無い物ねだりも、ほどほどにしよう。まずは、日々の生活に、心から「感謝」だね。(^-^)

俺が筋トレを始めたのは、自分の肉体的コンプレックスの克服が、最大の目的だった。20代の頃から始めて、効果的な方法などを本で調べたり、関連サイトで調べたりして、一進一退ながらも、徐々にその効果は出てきた。ようやく40代になって、この体だ。だが、まだまだ自分の理想にはほど遠い。もっともっと鍛えたいと思っている。

その一方で、このブログに掲載した俺の体の画像を見た読者から、かなりの好評価をもらったり、俺の体の画像で性的欲求を満たしてくれている読者も実際にいることが分かったりして、それで俺自身が安心して、少々モチベーションの低下につながっているような気もしている。

やはり、仕事や家庭のことで、筋トレになかなか時間を割けず、そうした中でモチベーションも下がってくると、どうしても1週間以上は間が空いたりして、自分でも「あっ、しまった!」と思うのだ。だから、筋トレに限らず何でもそうなのだが、いつまでに、どのレベルまでという具体的な目標と計画を立て、それを常に意識していないとダメだ。

去年の後半はずっと体のサイズをこまめに測って、胸囲や上腕囲などのサイズアップを目標にしてきた。少なくとも年末までにはここまでという目標もあった。なかなかそれを達成するのは難しかったが、去年の春頃と比べれば確実にサイズアップしたから、目標には届かなかったとは言え、よく頑張ったなとは思う。

今年は、去年、筋肥大を狙った分、脂肪過多でウェストが増し、お腹がダブついているので、当面は、有酸素運動を中心に体脂肪率を落としながら、腹筋を割ることを目標にしたい。もちろん、せっかく大きくなった大胸筋や上腕の筋肉、肩の筋肉も落としたくないから、計画的に鍛えるつもりだ。

ところで、筋トレのモチベーションは、次にブログに画像をアップするまでに鍛えなきゃと思うことで、かなり上がってくる。それには、このブログの読者を喜ばせたいという気持ちも少なからずあるのだ。

本当は、自分の体をネットでさらすことは、俺だって恥ずかしいし、少し躊躇したい気持ちもある。でも、このブログ自体は完全匿名でやっているし、顔や個人情報さえ出さなければ大丈夫という安心感があって、そのお陰でかなり思いきった、時にはかなり際どい表現も平気でやってしまうことがある。

もちろん、自分自身の楽しみのためでもあるが、やっぱり、読者のためという部分が大きくて、何度も書いているように、このブログの中身で、誰かが喜んでくれれば、それだけで俺はものすごく嬉しいのである。

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